労働の意味の再確認
ぼくのような富裕層によくありがちな事なのですが、下手に稼ぎが多くなってきますと、特に働かなくてもよくなってしまいます。例えば、1か月でサラリーマンの年収分ぐらいは稼げておりますので、残りの11か月は寝て暮らしていようが、何しようが特に変わらないわけです。
どだい、年間の半年は税金のために働いているようなのものですので、特に労働という概念はなくなってしまいます。生活をするために働くという意味が消失してしまいますので、別のアイデンティティーを確立する必要性がでてきてしまうわけです。
この点、もともと働きものの人は何も苦労することがありません。働くことに価値を見出している人であれば、富裕層になっても労働しつづけることに違和感がないので、お金持ち度にさらに拍車がかかることでしょう。
けれども、生来なまけもので、生活のために嫌々ながら働いているのであれば、お金を持ったとたんに働かなくなってしまいます。一時的には豊かな暮らしが出来ていたとしても、得たお金を消費することに向いてしまえば、結局はもとの暮らしに戻ってしまうわけです。
がんがん働いてせっかく富裕層になった時、「もう、この辺で少し休もう。」という気持ちになるかもしれませんが、そんな時こそ、もう一度、何のために働くのかについて再確認しておくことをおすすめします。